「一つでも多くの笑顔を生み出し、鳥取で一番多くの『小さな幸せ』を集める」を
ビジョンに掲げる『ヤマタホールディングス株式会社』
住宅の設計・施工・管理などの事業を行われています。
今回は、代表取締役の山田雄作さんにお話を伺いました。
中学生の頃に家族旅行で行った瀬戸大橋を見て、「人がこんなものを作れるんだ」と感じた山田さん。
その後、建設や土木に興味を持ち、ゼネコン会社に就職された。
ーー就職された会社はどのようなところだったんですか?
「海の工事や建設をやっている会社でした。東京の会社だから都会で働くと思っていたのですが、初勤務が佐賀県でした(笑)」
「3000万〜1億円の工事を数多くやっていました。同期は大きなトンネルや大きな橋の現場監督からスタートだったんですけど、自分が配属されたところは比較的小さな営業所だったので、何でもしていました。」
「入社一年目の秋に、急に先輩社員が転勤になりました。現場にひとり残されたとき『自分は言われたことをやっていただけだった』と気付きました。自分の頭で考えて動かないと現場が止まってしまう。その状況に立たされたことが、自分の成長の転換期になったと思います。」
ーー今の仕事に就かれたきっかけは何だったんですか?
「いつかは鳥取に戻りたいと思っていました。落ち着いて仕事をするなら鳥取だなと。そこで家業だった建設業を継ごうと思いました。」
「自分の好きな建設業だったので、昔から『やりたいな』と何となく思っていました。」
ーー家業を継いでから、はじめはどんな仕事をされましたか?
「まず事務所の配置換えからしました。効率が悪く、仕事をするにはやりにくいなと思ったので、書類の作り方や整理の仕方まで提案しました。」
ーー前職との違いは何でしたか?
「今までの仕事と比べると、『小さい仕事だなぁ』と思ってやっていました。一人暮らしのお年寄りの家の修繕とか。でもお客様は、工事を行ったことで住まいが快適になり、喜んでくださいました。」
「公共工事は大掛かりだけど出来て当たり前。出来ても感謝されることはあまりないです。『民間の小さな工事もいいな』と、そのときから思えるようになりました。お客様の『快適になった。ありがとう』という声がやりがいです。」
ーーそこからはどのような仕事をされていたんですか?
「注文住宅事業を立ち上げ、さらに2年後には、コンパクトな企画住宅をカタログに載せて販売することを始めました。子育て世代でも手軽に持てる家をつくりたくて。」
「企画住宅は、その時代のトレンドでもありました。それまでは紹介してもらった人への販売が中心でしたが、一般の方にも来ていただけるようになりました。一般のお客様がさらにお客様を紹介してくれて、雪だるま式に広がってきたのかなと思います。」
「その時から、一人で捌ける量に限界が見えてきたので、営業や設計を雇うようになりました。そこからだんだん会社も大きくなっていって、企画住宅をはじめて7年目に年間で43棟を建設する事ができました。鳥取県東部で一番家を建てた会社になる事ができたんです。」
ーー時流を読むための情報収集は常にされてるんですか?
「そうですね。他の事業者さんから話を聞いたりもしますし、自分が肌で感じることもたくさんあります。」
「お客様との繋がりを持つために、カフェとインテリアショップを兼ねた『ライフスタイルストア』を自社でつくりました。福岡に行った時に同じようなものがあったんです。鳥取にも同じものがあったらいいなと思い作りました。そういう集客の仕方もありなのかなと思っています。」
ーー採用に関して、若い人にどんなことを期待していますか?
「求める人材としては、『向上心があって、素直で真面目』な方ですね。若い方って自分たちと違うものを見ていると思います。新しい発想を提言してもらいたいですね。」
「それと、チャレンジ精神ですね。『やったことないから出来ません』じゃなくて『まずやってみる』という気持ちを大切にして欲しいです。」
時代の流れを掴み、お客さんの喜びを生み出していく。山田さんは『小さな幸せ』をつくるために今日も汗を流す。
ヤマタホールディングスさんでは、ともに働く方を募集しています。
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